黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

親友・久保寺雄二の弔辞を涙ながらに読んだ大石大二郎

 

ものすごい親密だったわけではないが、印象がよかった人を突然なくした。具合が悪いとも知らなかったのでいまだに実感はわかない。遺影を見てやはりご本人なのだなと思ったがいま「やっぱり間違いでした」と言われても納得してしまうだろう。きょうは大切な友をなくしたプロ野球選手の話をしたい。

 

ずっと気になっていた選手がいる。南海ホークスの選手だった久保寺雄二黒柴スポーツ新聞編集局長は現役時代の彼の記憶はない。じゃあなぜ名前を知っているのかというと、初めて買った選手名鑑の大石大二郎のページに「久保寺の葬儀で人目もはばからず涙を流した」という旨の表記があったからだ。その時は単に、大石大二郎は優しい人なのだなとしか思わず、久保寺雄二との間柄を詳しく調べようとも思わなかった。まあ思ったとしても調べる手段は今ほどなかったのだが。

 

編集局長がいまさら調べるより、この記事を読んでもらった方が勉強になる。こう言う時にスポーツ紙の底力を感じる。ぜひご覧ください。

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久保寺雄二は南海の選手で現役中に急死した。大石大二郎とは静岡商業時代のチームメイトだった。どちらがどちらのポジションだったか分からないが高校時代は三遊間のコンビを組んだという。大石は亜細亜大に進んだためプロの世界で再会するのは1981年から。久保寺雄二はプロ1シーズン目の1977年は11試合にとどまったが2年目にはもう104試合に出場。1984年からは藤原満が付けていた背番号7を継承した。亡くなったのは翌年1月だから、プロ野球選手として脂が乗ってきた矢先の急死だったのだ。

 

選手名鑑に書いてあったのは大石大二郎が弔辞を読んだ時のことだったのだ。 上の記事を引用させてもらう。「雄二君、聞こえますか。大二郎です。まさか君がこんなに早く逝くとは…」「もう一度、一度でいいから大きな声で大二郎!と呼んでください!」。嗚咽を漏らしながらの弔辞だったという。大石大二郎にとってもたまらなかっただろうが南海にとっても悲痛な出来事であった。レギュラーがいなくなってしまうのだから。いまのプロ野球でも1軍選手が急に亡くなってしまったら大きなニュースになるだろう。

 

南海は久保寺雄二が健在だった1978年からすでにBクラスが定位置でAクラスになるのは1998年まで待たねばならない。南海ファンが偉いのはこの点である。現在のソフトバンクファンも悔しいシーズンはあっただろうが実に20シーズンもBクラス(優勝ではありません)という現実を受け止めた。悪い時でも決して見放さない。これが本当のファンだと思う。

 

久保寺雄二は8シーズンで602安打。タイトルはなかったがこれからチームの柱になっていくべき人材だった。いわゆる主砲ではないが内野を任せられる人が一人でも多ければチームは大崩れしない。そういう意味で久保寺雄二がもし急逝しなければ南海低迷の歴史そのものは変わらなかったとしても20年連続Bクラスにはならなかったかもしれない。

 

26日に新井貴浩が2000安打を記録したがそんな日も黒柴スポーツ新聞は30年以上前に惜しまれつつこの世を去った久保寺雄二の話題で終わる。久保寺雄二のようないぶし銀を大切にし、大石大二郎のような心を動かす涙も見逃さないユニークなメディアであり続けようと思う。新井貴浩の話はまたあらためてまとめてみたい。

 

きょうの1枚は久保寺雄二で行きたいところだが残念ながら編集局長のコレクションはそこまで網羅していない。よって高校時代からの友・大石大二郎に登場願おう。1984年に60盗塁で世界の盗塁王福本豊の14年連続盗塁王を阻止。1993年には35歳にして4度目の盗塁王に輝いた。17年で1824安打も立派。久保寺雄二の分までやりきったに違いない。

 

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