黒柴スポーツ新聞

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阪急の大エース梶本隆夫に勝るとも劣らない弟・靖郎さんの素敵な人生

阪急ブレーブスの大エース、梶本隆夫の生涯を丁寧につづった三浦暁子さんの「梶本隆夫物語 阪急ブレーブス不滅の大投手」をテキストに前回の記事を公開した。今回はもう一人の主人公、梶本靖郎さん(のちに憲史さんに改名)を紹介する。梶本の弟で元阪急の投手だ。

梶本隆夫物語―阪急ブレーブス不滅の大投手

梶本隆夫物語―阪急ブレーブス不滅の大投手

 

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兄は多治見工出身だが靖郎さんは多治見高校出身。大学進学を目指していたが阪急が獲得を希望し兄を追って入団した。しかし出世目覚ましい兄とは違い靖郎さんはなかなか芽が出なかった。それどころか肩を痛めてしまう。別府での療養を経てついに初先発のチャンスをつかんだ。

 

その1960年7月18日は梶本兄弟にとって忘れられない日になった。日生球場での対近鉄戦。靖郎さんは一世一代の投球を見せたが終盤打球を体に受け無念の降板となった。「梶本弟に代わりまして、梶本兄」。何と兄弟リレーがここで実現した。隆夫は点を取られはしたがマウンドを守り弟の初勝利を演出した。

 

靖郎さんには兄以外にお礼を伝えたい人たちがいた。別府で支えてくれた野球仲間だった。初勝利や別府での逸話については書いてしまうと本を読む楽しみがなくなってしまうので遠慮しておく。再三書いて恐縮だがぜひ「梶本隆夫物語」を読んでいただきたい。この兄弟リレー勝利を含む通算3勝2敗が靖郎さんのプロ成績だ。

 

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実は靖郎さんの生き方について「梶本隆夫物語」ではむしろ引退後の方が、現役時代のくだり以上に引き込まれる。あまり書いてしまうと本を読む楽しみがなくなってしまうので気を付けながら紹介する。引退に際し球団から梅田駅近くに新たに作るホテルに参加しないかと打診を受けた靖郎さんはすぐにその準備に取りかかる。そして新阪急ホテルの新入社員になったのだ。

 

入社前の見習いに始まり、営業時代の工夫、努力。最初からホテルマンに向いているとも思わなかったしプロ野球選手の経歴を利用しようとも思わなかった。だが選手と共通点はあると見た。自分はバッターと駆け引きを繰り広げていた。ピンチもすぐ解決しないといけない。どんなバッターが来ても動じてはいけない。打者の心理を読み取る技を今度はお客様のハートをつかむことに生かそう…。

 

こうしてホテルマンの道を歩み始めた靖郎さんはついに阪急初優勝のビールかけも担当する。ここはびっしり書き込みたいところだがこここそ本でお読みいただきたい。とにかく兄弟リレーやら、弟の用意したビールで兄が優勝を祝うやら、いい話なのだ。やっぱりなという結果なのだが靖郎さんはホテルにとってなくてはならない人になった。こういう方が運営するホテルはまさにただ休む場所ではなく寛げる場所。サラリーマンに出張はつきものだが、せめて宿泊場所は戦士の休息の場としてゆったり過ごしたい。

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大エースだった兄が254勝255敗で負け越し1。弟は勝ち越し1。兄弟合わせて257勝257敗。味わいのある数字だ。そして数字には表れないエピソード満載の兄弟のストーリーをまとめたのが「梶本隆夫物語」。ご興味がある方はぜひ手に取っていただきたい。元気が沸いてきますよ。

 

 


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