リオを懸けた田中智美、小原怜のマラソン1秒差決着を演出したあの人の激走
鳥肌が立つレース展開となった。リオデジャネイロ五輪女子マラソン代表、最後の選考レースとなった名古屋ウィメンズ。田中智美(第一生命)が日本人トップの全体2位。3位の小原怜(天満屋)はわずか1秒差に泣いた。
本紙は福士特需だった?
黒柴スポーツ新聞では過去4回にわたって、代表候補の一角である福士加代子(ワコール)について記事を書いてきた。まだ代表発表までは間があるが名古屋をもって事実上の決着とみてよさそうだ。過去の記事をご覧になっていない方、またこれを機に読み返してみたい方は以下をチェックしてください。福士の記事は比較的読まれているようだ。ちなみに名古屋開催の日、本紙へのアクセスは過去最高を更新。通常の日の3倍も来ていただいた。マラソン記事が好んで読まれた可能性が高い。ありがたいことだ。
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選考方法はしっかり再考を
日本陸連も固唾をのんでレースの成り行きを見守っていただろうが、本紙編集局長もドキドキした。というのも大阪で力走した福士に早々に内定を出してしまえと主張していたからだ。名古屋でこんな好レースが繰り広げられるとは…率直に反省する。ゴールのナゴヤドームに入るまで田中、小原両選手は一歩も譲らない。わずかに1秒分、リオに賭ける田中の思いが上回ったのか。歴史に残るデッドヒートだった。敗れたとしても小原怜選手の名前は一生忘れない。マラソンはこれがある。だからこそ名古屋を走らせようとしたワコールの永山忠幸監督も「正しかった」。福士の内定を急がなかった陸連も「正しかった」。選考ルールについてはぜひ選手やファンの意見も取り入れ関係者で調整し分かりやすいものにすることだけ求めておく。
伊藤、福士、田中で決まりか
先に大阪を走った福士は2時間22分17秒。名古屋の田中と小原は2時間23分19秒と20秒。もしも名古屋が2時間22分台でこの展開だったら陸連はどう選考したのだろう。考えただけでもぞっとする。福士はただ一人、五輪派遣設定タイム2時間22分30秒を切ったので事実上の当確。五輪代表3枠のうち最初に2015年世界選手権7位の伊藤舞(大塚製薬)が決まっていたので、残り1枠は田中だろう。田中は2014年の横浜国際で優勝しながら2015年の世界選手権代表には落選した苦い過去がある。これを払しょくする瞬間はもう目の前だ。やはりつらさを乗り越えたところにこそ次の道がある。
尾崎好美先輩が沿道で激走
それにしても田中、小原両選手はスタートラインに立つまでに何千キロ、もしかしたら何万キロも練習で走ったことだろう。その上での1秒差。何が明暗を分けたかなど軽々しく部外者が口にしてはならないのだろうがどうしても一点だけ言いたいことがある。田中の勝因はずばり「尾崎好美さんの並走」だ。尾崎さんは第一線を退いたが田中が所属する第一生命の先輩。2009年ベルリンでの世界陸上銀メダリスト、2012年ロンドン五輪代表(19位)である。その尾崎さんが確か30キロ台後半だったと思うが沿道で並走していた。
フジテレビ系列のマラソン中継はさすが
さすがメダリスト。五輪をめぐる田中、小原のデッドヒートに沿道からついていく。後輩の田中に声援を送っていたようだが何と言ったのか知りたいところ。この様子はマラソン中継で放送されたがバイクカメラか中継車か、きっちりとらえられていた。さすがフジテレビ系列のマラソン中継。この日も東海テレビの森脇淳アナウンサー、解説の瀬古利彦、有森裕子、バイクリポーターは金哲彦と間違いのない布陣。バラエティーなど視聴率が低迷しているようだがフジテレビのスポーツ中継のクオリティーの高さは今後も受け継いでほしい。
現場で並走する先輩も、去る先輩もいる
それにしても尾崎さんはさすが。まさに並走した場面は田中、小原が激しいつばぜり合いを繰り広げているところだった。最も苦しいところで先輩が一緒に走ってくれる。これで何も思わない後輩はいない。学生時代とは違い、社会人では信じられないことにピンチの時あっさり現場を去り保身に走る先輩がいる。本当にピンチの時にそばにいてくれるのが真の先輩である。たまに箱根駅伝やらマラソンで沿道を子どもやら自転車の兄さんが爆走するがこんなに熱い沿道の走りを見たことがない(一般の人は衝突の危険大なのでやめた方がいいと思います)。
尾崎さんも名古屋で射止めていた
尾崎さん自身、名古屋はロンドン五輪代表をつかみとったレース。2011年11月の横浜国際で代表入りを目指したが惜しくも2位。リベンジと臨んだのが2012年3月の名古屋で日本人トップの2位。これで代表の座を射止めた(残り2枠は木崎良子=ダイハツ、重友梨佐=天満屋)。中継の時にこの流れを理解してはいなかったが純粋に後輩の大ピンチの時に並走する姿に感動した。本紙編集局長もかくありたい。田中、小原は見ていて分かる通り力は拮抗していた訳だから、勝負を分けた1秒は尾崎さんの並走が演出したとしか思えないと本紙は見たわけだ。
小原選手にもぜひ声援を。木崎、重友両選手にも拍手を
木崎は10位となりロンドン以来2度目の五輪代表の座は逃した。重友も福士と走った大阪で敗れた。天満屋はシドニーの山口衛里、アテネの坂本直子、北京の中村友梨香、ロンドンの重友と4大会連続で五輪代表を送り出したが名古屋の結果からこれが途絶えそうだ。しかし小原は立派。「まだ1万メートルがある」と五輪出場へ決意表明したのだ。最高のスタッフと挑戦する、と。1秒差で敗れた事実はみんな知っているからこちらの選考ではみんな応援してくれるに違いない。
野口選手、おつかれさまでした
今年の名古屋は話題てんこ盛りで最後にこの人も触れないと終われない。野口みずき(シスメックス)。アテネ五輪金メダリストはもう全盛期のような跳ねる走りはできなくなっていた。しかしあきらめない。序盤で早々と先頭集団から離れてしまったが、終盤は時折手を振ったり感極まったように見えたりと非常に表情豊かに思えた。いろんな思いの交錯した42.195キロだったことだろう。今後の進路は正式表明していないがひとまず「お疲れさまでした」。
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