黒柴スポーツ新聞

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大谷翔平の162キロから考える、結果を伴ってこその球速論

大谷翔平の調子が抜群らしい。球速は162キロも出ているという。これだけを見ればすぐ開幕しても良さそうだ。
しかし敢えて一石を投じてみたい。果たしてスピードボールが投げられたら調子がいいとかいいピッチャーだとか言っていいものか。


黒柴スポーツ新聞編集局長は覚えている。桑田真澄が登板したナイター中継で148キロという画面表示が出た。そこには「MAX」とも出ていた。つまりその試合での最速だった。どうだろう、大谷だけでなく、阪神藤浪晋太郎だって常時出そうなスピードだ。


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しかし桑田はそこまで速球派でもないのに180勝もした。コンビネーションと制球力で勝ち星を積み上げた典型と言っていい。


確かに球速が速ければバットに当たる確率は理論上低くなる。一説によればプロレベルともなるとホーム付近を通過するスピードに対し、脳が体に「打て」と指示を出して筋肉が反応し打てる時間は掛かりすぎる。つまりバッターは来た球を打っているが日頃の練習での球筋の残像に対してバットを繰り出しているという。だから変化球にもとっさの対応ができる(ように見える)のだ。


しかしそれがすべて結果につながらないのが野球の面白さ。一か八かで振ったバットの芯に当たるかもしれないし、当たっても野手の正面を突くかもしれないし。審判がストライクと言ってくれる保証もない。速球派の宿命として出会い頭の一発を浴びる危険もある。


だから何キロ出たというのは人類の身体能力の研究上、史上最速記録は意味あるかもしれないが、あんまり騒ぐのは意味がない。あくまでも調子のバロメーターに留めるくらいにすべきだ。


これと同じでホームランだって場外だろうがフェンスギリギリだろうが1本は1本だ。ランニングホームランだってある。社会人は結果がすべてだから、別に後ろ指差されるやり方でなければ、別にきれいなヒットを打ち続けなくてもいいのだ。ただしヒットでいいところでも二塁打なり三塁打を打つ人は誉められる。

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速球は若さの象徴にも見える。編集局長がたまらないのが速球派が技巧派に転向する瞬間である。最近はホークスの五十嵐亮太が目に止まった。押せ押せでなくともいい。極論を言えばツーアウト満塁フルカウントまで行っても失点しなければいいのが野球であり人生にもダブるかもしれない。その境地に達するには幾多の苦い経験が必要だろう。大谷翔平ほどワクワクする球を投げないと分かってはいるけれど、ベテランの中継ぎ、抑えピッチャーを見るのもまた味わい深い。