黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

社会人としても胸に響く日本人初のメジャーリーガー村上雅則の言葉

ついに大リーグ挑戦

本紙編集局長が野球カードを集め出したころ、特に買いあさっていたのが1993年版だった。元々は大好きだった近鉄の三色ユニフォームが目当てだったがせっかくならと他球団の選手も集め始めた。その後カード収集の手ほどきを受ける大先輩コレクターに出会いなんと1993年版が大方残ったコンプリートボックスをもらい受けた。これで手に入ったのが日本人メジャーリーガー第1号、村上雅則氏(以下敬称略)のカードだ。今回は彼にフォーカスする。ついに黒柴スポーツ新聞も大リーグ挑戦である。

 

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野茂の渡米で脚光浴びる

野茂英雄がメジャーデビューを果たした時、第1号として再び脚光を浴びた村上雅則。ただ、野茂英雄は日本球界でタイトルを取りまくって海を渡った上にノーヒットノーラン2回や日米通算201勝という実績から野茂英雄こそがパイオニアという見方もなくはない。しかし村上雅則こそシンデレラボーイなのだ。今回紹介する1993年版のカード裏の解説を使いながら村上雅則の球歴を振り返る。

 

アメリカで初勝利

投手で出身は法政二高。南海に入団するが1年目の1963年は1軍登板は3試合2イニングのみ。しかし1964年1月、南海はサンフランシスコ・ジャイアンツ村上雅則野球留学生としてとする契約をした。村上雅則ジャイアンツのファームでリリーフ47試合、先発1試合で11勝7敗、防御率1.78。106回投げて159奪三振だった。この活躍が注目され9月1日に3階級特進でジャイアンツに入る。すぐに日本人初の大リーガーとして登板し、9月29日には初勝利を記録した。つまり日本選手なのに初勝利が大リーグなのだ。ここで「ん? 大家友和もそうじゃないの?」と思った方はなかなか鋭い。編集局長もそう思い調べてみたが、大家は横浜での新人時代に1勝を挙げている。 村上雅則は米1年目、9試合で1勝0敗、防御率1.80だった。シーズンオフにジャイアンツと来季の契約をしたことから南海とジャイアンツどちらに帰属するのか大問題になった。結局2年目もジャイアンツでプレーし45試合も投げ4勝1敗8セーブだった。

 

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打ってもすごかった

さて、本紙が注目したのは「その後」。日本人大リーガー第1号という肩書きだけではないことを強調したいのだ。南海に復帰すると1968年には18勝4敗で勝率.818。唯一のタイトル「最優秀勝率」を獲得した。その後阪神日本ハムでプレー。2ケタ勝利は5回で日米通算108勝83敗。かっこいいことに1977年は61試合、1978年は57試合と、2年連続でパリーグ最多登板だった。プロ15、16年目のことだ。やりようによって人はいつまでも成長するのだと思い知らされる。打つ方も達者で史上12人目の「投手で2ホーマー」達成者。打数は定かではないが1970年に3割1分、1971年には3割6厘。これは大谷翔平よりもすごいのではないか? 71年には史上2人目の「投手で3試合連続弾」を記録している。アメリカでの2年を含め20年も登板し続けた。

 

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素晴らしいベースボールマガジン社

こういうことを知っていれば、野茂英雄の解説に出てきた野茂英雄をもっともっと尊敬できたのにとつくづく悔やまれる。だが野球カードを見返したからこそ書ける文章もあるということだ。カードの解説は本当にためになる。野茂英雄のメジャーデビューは1995年。それより2年前にきちんと野茂英雄をリスペクトするカードを発行しているベースボールマガジンには恐れ入る。この会社は本当にセンスの塊としか思えない。過去の資産をフル活用している。よく考えれば王さんが打ったとか長嶋さんが打ったとかもう大方の試合結果は人々が記憶している。なのに次から次へと切り口を変えて楽しい雑誌を出版し、野球カードを発行し続けている。素晴らしいとしか言いようがない。

 

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札幌ドームで始球式

村上雅則はよくぞ日本人メジャーリーガー第1号になってくれた。だからこそ野茂英雄の米挑戦で再びフォーカスされたのだ。名投手がそのまま記憶のかなたに行ってしまうところだった。2005年4月15日、村上雅則は札幌ドームで始球式を務めた。これがカードになったことで現在の日本ハムのユニフォームを着た村上雅則を見ることができた。

 

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※2005年版ベースボールマガジンの野球カードを使わせていただきました。そのほかのものは1993年版です。

ご本人の文章

今回の記事を書くためにネットで資料集めをしたら、本人の文章を見つけた。幼少時のことから渡米のいきさつまでかなり詳しい。うんちくの宝庫である。本紙を圧倒する文字数なのだが村上青年が苦労しながら大舞台に立つまでが手に取るように分かる。 若い世代に対し、思いっきり飛んでください、チャレンジせよと書いてあるが、そのあとの一文が秀逸。自身のキャリアがそう言わせたのだろうが、社会人の大先輩の一言はいまさらながら胸に響くものがあった。かくありたい。皆さまにも下に添付した文章をぜひご一読いただきたい。

40年前,日本人の大リーガーがいた!~マッシー村上~ | Vol.12 | バックナンバー | アキューム

 

 

たった一人の大リーガー

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