黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

島田誠と柴田保光があけぼの通商で熟成させたハングリー精神

夢を諦める場所なのか

 独立リーグとは夢を諦める場所である。そんな見立てがあるという。

 

「夢は見るものではなくかなえるものだ」

「諦めなければ夢はかなう」

これは成功者の常とう句である。成功者だからこそ様になる。

 

確かに独立リーグはそんなに甘い世界ではないだろう。

 

奇跡のチーム

あけぼの通商、というチームを思い出した。名前はきっと知られていない。島田誠柴田保光は知っているだろう。そんな選手を生んだ奇跡のチームだ。島田誠については本人による「それでも野球が好きだから」、柴田保光については森哲志さんの「不屈のプレイボール」に詳しく書いてある。読む楽しみをそがないように気を付けながら以下に圧縮する。気になる野球通はぜひ入手していただきたい。

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 ※1984年版カルビーの野球カードを使わせていただきました。

 

それでも野球が好きだから

それでも野球が好きだから

 

元は丹羽鉦電機

丹羽鉦電機という会社の野球部があった。島田誠は大学を留年してやっと入った会社。柴田保光東京消防庁の内定を蹴って入った。なのに、会社の体力がなくチームは解散。そこで監督の父が福岡にあけぼの通商を設立する。味噌と漬物、醤油の販売会社、と言えばそれなりに聞こえそうだが実質「行商」。商品を車に積んで売り歩くのだ。島田誠柴田保光もそこの社員になった。

 

なお、ほぼ同じ時代のことなのに書いてあることが微妙に違う。

島田誠】平日はろくに練習ができない。なぜなら10時ー22時の行商だから。

柴田保光】8時ー正午に練習。14時から行商。20時帰社。素振りや筋トレをして23時終了。

 

寮は一軒家、二段ベッド

一軒家を改造した寮で、寝るところは二段ベッドだった。遠征費に事欠き宿泊費が捻出できないため積極的に勝てないつらさもあったという。一方で地元に来てもらう試合では遠慮なくやれた。いつしかあけぼの通商は知る人ぞ知る存在になった。

 

これ使うてください

ついに島田誠が1977年にドラフト外日本ハムに入団した。プロ野球選手が誕生したのだ。1978年、「味噌売りの剛速球投手」こと柴田も西武のドラフト2位で続く。柴田保光は契約金2000万円のうち400万円を監督に渡してこういった。

「これ、遠征費と用具代に使うてください。みんなのお陰ですから」(森さんの著書より)

 

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※1993年版ベースボールマガジンの野球カードを使わせていただきました。

 

月給が60倍に

住宅費と食費は会社持ちだが月給が3000円なり4000円。柴田保光は月給18万円となった。島田誠日本ハム不動の一番打者になった。あの野村克也捕手相手に1イニング3盗塁の「サイクル盗塁」で一気にホームインの快挙も達成した。ちなみにノムさんは激怒していたそうだ。柴田保光は同じ日本ハムに移籍した。そこでノーヒットノーランも達成した。

 

これら活躍の原点が味噌売りなのだから痛快極まりない。今の独立リーグ選手は行商経験などないだろう。もちろん練習に励んでもらいたい。が、あけぼの通商よりはよっぽど恵まれた環境に思えてしまう。島田誠柴田保光ばりのガッツやハングリー精神はちょっとやそっとじゃ育まれない。

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 ※2008年版ベースボールマガジンの野球カードを使わせていただきました。

 

角中の前例もある

が、若者が夢と覚悟を持って付き進んでいる点は第三者がとやかくいうことではない。もうとことんやってもらったらよい。そういう選手には自然と声援がいくはずだ。夢を諦める場所と言えば、そういう場所なのは間違いない。だが高知ファイティングドッグスを経てロッテに入り首位打者を獲ってしまった角中勝也というサクセスストーリーがあるのもまた事実。独立リーグが、夢の終着駅と決めつけてほしくはない。

牛を飼う球団

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