黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

君は第4代トリプルスリー達成者・簑田浩二の魂の走塁を見たか

 

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「トリプルスリー」が2015年の流行語だった。

何のことはない。

本紙編集局長の少年時代は「3割30本30盗塁」と言っていた。

簡単に言ってしまっているが80年以上のプロ野球の歴史上、8人しか達成者がいなかった。

それが2015年には柳田悠岐山田哲人、2人同時に誕生。

話題になったこと自体はうなずける。

 

8人言えますか

では、スポーツ通の本紙読者の皆さんは、それまでの8人言えますか?

告白すれば、編集局長はウィキペディアのお世話になってしまった。

岩本義行

別当薫

中西太

簑田浩二

秋山幸二

野村謙二郎

金本知憲

松井稼頭央

球史に名を残した人、2000本安打達成者など、そうそうたる顔ぶれだ。

本紙の熱心な読者はもうお分かりだろう。

当然のごとく、今回はもっとも目立たない簑田にフォーカスしてみる。

 

6年間サラリーマンだった

プロ野球列伝~不滅のヒーローたち」という、テレビ愛知制作の素晴らしい番組がYouTubeにアップされていた。

簑田浩二は1975年、ドラフト2位で阪急ブレーブスが指名。

三菱重工三原の社員だったが、プロ野球選手になった。

都市対抗野球には4回出場している。

基本的に8時から17時までは社業に専念。

練習はその後。

なかなか大変だった、と当時を振り返っていた。

 

プロ入り時の年齢は24歳。

社内結婚した奥さんのお腹には赤ちゃんがいた。

俊足に自信があったのか、高評価に賭けたのか。

簑田浩二は安定した身分を捨て、勝負の世界を選んだ。

 

無名の代走

入団2年目、チームは日本シリーズに進出。

相手は巨人である。

無名と言ってよかった簑田浩二

第4戦、9回2死、1点差を追うしびれる展開で代走を命じられた。

 

巨人の吉田孝司捕手は簑田浩二の脚を警戒していたというが、いとも簡単に盗塁成功。

ここで阪急が誇る恐怖の代打男、高井保弘(通算代打27本の世界記録保持者)が登場。

巨人・浅野からレフト前にヒットを放った。

さすが高井。

 

が、少々当たりが良すぎたか。

レフト二宮至が捕って、サード高田繁経由でバックホーム

タイミング的には簑田浩二自身もアウトだろうと認識していたが、簑田浩二は吉田のミットをかいくぐるように頭から突っ込んだ。

 

球審の手が横に広がる。

「セーフ!」

起死回生の激走だった。

試合は阪急が逆転勝ちした。

 

なお、吉田孝司は高田繁が中継していなければ(歓声で意思の疎通ができなかったという)アウトだっただろうと述懐している。

簑田浩二も紙一重だったと認めている。

しかし、簑田浩二はチャレンジし、勝った。

 

別のトリプルスルーさえも

簑田浩二は上昇していく。

チーム内で争う対象だった実力者、大熊忠義の離脱も一つの要素だった。

しかし、そういう運をつかむのも実力のうち。

簑田浩二はチャンスをものにした。

1978年から1985年までは主力として毎年120~130本ペースで安打を量産。

1978年には61盗塁と走りまくった。

1980年には31本塁打39盗塁31犠打という、「別のトリプルスリー」を達成した。

山田哲人がしょっちゅうバントしているようなものである。

 

柳田+山田でもまだ足りない

そして野球人生のピークと言ってもいい1983年。

3割1分2厘、32本、35盗塁を記録し、正真正銘のトリプルスリー達成者の仲間入りを果たした。

付け加えれば、外野を守った簑田浩二は補殺の名人でもあった。

この点は柳田悠岐を思わせる。

つまり、簑田浩二は「山田+柳田」に2番打者の素質もあるスーパーマンだったのだ。

トリプルスリーという言葉が流行語になったのなら、簑田浩二ら過去の達成者についてもぜひ知ってもらいたい。

 

「簑田」は一人一人の胸の中にいる

簑田浩二が阪急の主力になるきっかけは、1977年日本シリーズの好走塁。

その原点は、一か八かでプロ入りを決断したあの日だ。

今は受験シーズン。

進学や就職、転職など人生には節目がある。

その時、チャレンジするかどうかはその人次第。

重要なことだが、そのチャレンジがうまくいく保証はない。

経済が右肩上がりではない時代。

何かとチャレンジを避ける風潮がある。

かくいう編集局長もチャレンジばかりできてきたクチではない。 

だからこそ、簑田浩二のプロ入りや激走やヘッドスライディングには勇気づけられる。

 

あの日の簑田浩二は、きっと私たち一人一人の胸の中にいる。

 

なお、同点に追い付いて沸く阪急ベンチで一人、上田利治監督は「簑田浩二のスタートが遅い」と思っていたそうである。

 この辺りは編集局長が何冊も著書を持っている、元新聞記者の近藤唯之氏の本「運命の一球」に収録されている「たった一試合でレギュラーに」をぜひお読みいただきたい。

簑田浩二渾身のヘッドスライディングの写真(併用写真中の右上)も収められている。

併用写真中、左上はベースボールマガジン社「日本プロ野球トレード大鑑2004」、下もベースボールマガジン社「激動の昭和スポーツ史②プロ野球下」を使わせていただきました。

クロスプレー直後、セーフをアピールしている人物が簑田浩二である。

また、すでにお気づきであろうが、今回の記事のメイン見出しは鎮勝也氏の著書「君は山口高志を見たか」に触発されたものである。

運命の一球 (新潮文庫)

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君は山口高志を見たか 伝説の剛速球投手

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