黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

レジェンド葛西紀明に吹いた本当の神風とは

 

新聞にジャンプ・葛西紀明のW杯欠場記事を見つけた。

ネット、いや、もうスマホ全盛期にまさかと思われるだろうが、ブログを書く上で新聞はよいネタ元になっている。

とはいえ、読んでいて涙が出そうな記事だった。

葛西の欠場の裏には、妹さんの他界があったからだ。

再生不良性貧血という血液の難病になり、16歳から闘病。

38歳の若さで亡くなったという。

 

長野では補欠

葛西は金メダルに近づきながら、その度に悔しい思いをしている。

日本中が熱狂した1998年の長野五輪では補欠。

けがをしていたという。

雪上で雄たけびを上げるラストジャンパーの船木和喜原田雅彦、斉藤浩哉、岡部孝信が抱きついたあの時。

葛西はどんな気持ちだっただろうか。

 

リベンジのはずが

そもそも、長野は葛西にとってリベンジマッチのはずだった。

1994年リレハンメル五輪。

葛西は団体の一員だった。

日本はラストジャンパーの原田がまとめれば、金メダルは間違いなかった。

直前に「コングラチュレイション」とドイツのバイスフロクが言ったとか。

これは原田にプレッシャーをかける作戦だったのか。

今回、ネット上で検索してみたところ、「97年、信濃毎日新聞掲載」とする記事を見つけた。

それによると、バイスフロクは、そんなつもりはなかったとのこと。

ともかく、日本は2位に転落。

バイスフロクのドイツが逆転金メダルを獲得した。 

日本チームが表彰式で、「一番」と書いた鉢巻きを「二番」と書き直し登場したのも懐かしい。

 

しかし、4年後の長野では団体で勝負することができなかった。

個人ではノーマルヒルに出場するも7位だった。

 

後輩たちが抱きついた

2002年ソルトレークシティーでは個人ノーマルヒル49位、ラージヒル41位。

普通ならこのあたりでやめてしまいそうだ。

が、2006年トリノ、2010年バンクーバーと連続で五輪に出場。

そして2014年、ソチ五輪でも飛び、7大会連続出場を果たした。

それどころかソチでは団体で銅、個人ラージヒルでは銀メダルに輝いた。

個人でのメダルを手中にした瞬間、伊東大貴竹内択清水礼留飛の後輩3人が抱きつきに来た。

長野では加われなかった歓喜の輪。

その中心に葛西の姿があった。

 

自己ベストタイのビッグフライト

長い競技歴を支えた一つが、亡くなった妹さんの存在だった。

悲しみを胸に、葛西は1月15日のフライング世界選手権(オーストリア)を飛んだ。

1日目、240.5メートルのビッグフライト。

自己ベストタイだった。

葛西紀明オフィシャルブログ「神風ジャンパーの挑戦」を見た。

235メートル辺り、そろそろ着地という頃に「風」が吹いたのだという。

 

久美子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

夢は、努力でかなえる。

夢は、努力でかなえる。

 
家族で獲った銀メダル

家族で獲った銀メダル