黒柴スポーツ新聞

ニュース編集者が野球を中心に、心に残るシーンやプレーヤーから生きるヒントを探ります。

タオと言えば世代的に土屋太鳳ではなく田尾安志

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琴奨菊白鵬を破り、11連勝。

単独トップに立った。

時間いっぱいの時、琴奨菊は上体を目いっぱい反らす。

「ルーティン」というやつである。

個人的には不器用この上ない高見盛の「オイっ、オイっ」と腕を上下に振る動きが好きだった。

 

イチローも意識した

野球で言えば、ルーティンはイチローが有名。

立てたバットをマウンド方向に倒したり、袖をちょっとつまんだり。

物真似もされている。

しかし、イチロー自体があの選手を意識していたのも有名な話。

バットをくるっと回してから構えに入っていた、田尾安志である。

 

長崎との首位打者争い

田尾の野球カードは何枚か持っていたと思い、探してみた。

見つけたのが今回アップしたものだ。

カードは裏に通算成績なり、その選手にまつわるエピソードが書いてある。

田尾のものは1982年、大洋・長崎慶一との首位打者争いについて触れていた。

とはいえ、本紙編集局長がまだプロ野球に親しむ前の話。

今回もYouTubeのお世話になりつつ、持論を展開したい。

 

ラストチャンス、しかも最終戦

時は1982年9月18日。

首位打者長崎を、田尾は1厘差で追っていた。

しかしこの日が最終戦。

逆転へのラストチャンスである。

 

しかもこの日中日は勝つか引き分けでセリーグ優勝。

負ければ巨人が優勝という大一番だった。

…ということまでは知らなかった。

あの大事件がこんな大事な日に起こっていたのか。

 

 

5打席「敬遠」

長崎はベンチ入りすらしなかったらしい。

賛否あろうが、せめてベンチには入れるべきではなかったか。

ともかく、大洋投手陣は田尾と勝負しなかった。

ヒットを打たれなければ、長崎の首位打者が決まる。

チームメイトに首位打者を取らせたいのは当たり前。

だが、田尾が塁に出ることで失点するリスクは高まる。

田尾の出塁がすべて、ではないにしろ、中日が着々と加点。

それでも田尾は勝負してもらえなかった。

運命の第5打席。

またしてもスリーボールまできた。

 

4球目。

意を決した田尾は、明らかなボール球に対してバットを振った。

スタジアムが沸いた。

5球目。

またしても田尾はバットを振った。

プロとして、最高の抗議である。

 

たまらず、中日・黒江コーチが飛び出し、田尾の肩を抱いた。

このわずかな時間に、いったい何と声を掛けたのか。

結局田尾はもうバットは振らず、首位打者は夢と消えた。

 

三振してもよかった

この事件については、さまざまな意見がある。

・敬遠はルールで認められている。

・自軍の選手にタイトルを取らせたいのは当たり前。

・タイトルで選手の年俸は変わってくる(つまりタイトル重視でよい)。

一方、田尾に好感を持った人もいただろう。

本紙編集局長もこちら。

何なら三振したってよかったとすら思う。

もし三振したとしても、きっと中日ファンは誰一人責めなかった。

 

上には上!松永は11連続で…

ちなみに1988年にはロッテ・高沢秀昭と阪急・松永浩美が同様の争いを繰り広げた。

そして松永は10打席連続敬遠を食らう。

11打席目もじっとしていれば敬遠だったが、松永はバットを投げてでも当てようとこれに抵抗。

「三振」した。

男である。

 

田尾はタイトルを得られなかったがチームは優勝した。

本心は首位打者になりたかっただろう。

それ以前にチャレンジしたかっただろう。

あの、バットを回すルーティンを伴って。

 

大洋の犯した罪は

皮肉なことに、長崎が首位打者を取ったことを覚えている人は、大洋ファンや野球博士を除けば少数派ではないだろうか。

大洋が犯した最大の罪は、この一点に集約されている。

敬遠の是非、などという問題ではない。

プロ野球ファンは恐ろしいほど記憶がいいのである。

 

そんな恐ろしい記憶の持ち主を読者にしてブログを書くのも、また恐ろしい。

そして、めちゃくちゃ楽しい。

ご愛読ありがとうございます。

創刊してようやく20日。

まだまだネタは綱渡り。

「ルーティン」と表現するには程遠い。 

 

 ※写真は2001年版ベースボールマガジンの野球カードを使わせていただきました。