黒柴スポーツ新聞

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横浜の低迷は谷繁の移籍から始まった

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先日見た高橋由伸の引退セレモニー。

同じように2015年シーズンをもって引退する選手が、背広姿で胴上げされていた。

そこにいた井端、金城は、前の所属球団でも引退試合を組んでもらえそうな功労者だろう。

今回の話題はこの金城に着想を得た。

金城、小池、吉村、多村、村田、相川…

戻ってきた選手もいるけれど、横浜はなぜこうもよい選手が外に出てしまうのか。

最も痛かったのは谷繁だろう。

「横浜の低迷は谷繁の移籍から始まった」

何となくそう思っていた。

だが、今回の執筆にあたり調べてみると、数字がきっちり出ていたのだった。

 

5年連続を含む、最下位10度

すっかり中日の人間になっているが、谷繁は横浜大洋に入団。

球団を背負って立つ選手になると思われた。

しかし2001年シーズンをもって、中日へと移る。

2001年、横浜は3位。

中日は5位だった。

契約更改に際し、条件面で折り合いが付かなかったのか。

それとも球団への不満があったのか。

移籍の背景は横浜ファンにぜひ教えていただきたい。

とにもかくにも谷繁が中日に行き、中日の中村武志が横浜に来た。

捕手が入れ替わったのである。

どちらも意地があろうから、2002年シーズンのチーム成績が気になるところ。

結局、横浜は6位で中日が3位になった。

谷繁に軍配が上がったのである。

それどころか2003年も2004年も横浜は6位。

中日は2位、優勝と着実にステップアップしていった。

 

論より証拠ということで、あらためて分岐点となった2002年以降2015年までの、両チームの順位を数字で並べてみる。

横浜=66636466666556

中日=32121232112445

見事に中日が上回っている。

しかもすべての年で。

近年は結果を出せなかったが、ずっとAクラスを維持していた。

谷繁の貢献度合いがよく分かろう。

なお、中村の名誉のためにいっておくが、長年中日の投手陣を支えた功労者である。

一時代を築いたことは間違いない。

 

部長・谷繁元信

野球ではなく、ビジネスマンに置き換えたとしてもかっこいい話。

ある日、横浜商事のやり手、谷繁部長は社内での自分の評価に疑問を持つ。

自分の力を試してみたい…

するとライバルの中日商事が好条件を提示してきた。

「うちで思う存分やってください。幹部候補ですよ」

同じ業界ではあるが、一丁やってみるか…

移籍が決まると、中日商事の中村部長がポストの座を脅かされてしまった。

中村部長は入れ替わる形で横浜商事にやってきた。

谷繁部長は水を得た魚のようにどんどん成績を伸ばした。

中日商事は業界で一、二を争う会社へと成長した。

対照的に、横浜商事は戦力ダウンし、業界最下位になってしまった。

谷繁部長はオーナーに認められるまでになり、いま社長をやっている。

この間、一度として横浜商事に負けることはなかった…

 

いかにキャッチャーが大事か

谷繁だけを見ても、いかにしっかりした正捕手が必要かが分かる。

実際、2015年のセを制したヤクルトは中村がほぼ固定できて、チームとしての形が整ったと言えよう。

ソフトバンクも高谷が成長してきたが、細川というベテランが控えている。

巨人も、阪神も、正捕手の成長・固定ができれば安定した成績が残せることだろう。

そして何より、チームには絶対に手放してはならない選手がいる、ということだ。

今、ロッテが気になる。

西岡、成瀬、そして今江。

横浜の二の舞になりはしないか。

必要な選手を、気持ちよく活躍させる。

フロントの力量も問われている。

 

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